DATE: 01/29/2017 10:59:18

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ


まぁ、人生五十年といわれた年齢を既に越えましたが、、

私自身は、未だ天命を知らない、、。


「お役目なのよ~」とか言い出す美輪明宏とかエハラー、、


天命というコトバを知って(刷り込まれて)人は惑い、、

天命というコトバを刷り込まれて人はスピリチュアルジプシーとなり、、

天命というコトバで軸を奪われてエセスピセッションミイラとなり果てる。

天命というコトバを刷り込んで信者を自身のセッションのカモにしていく教祖、、




そもそも「あるがままでよいのよ」、、とか言いながら、、

その人生が「使命だ」とか言いながら、、

豊かさを、お金のナンタラを説いて、、

その「あるがまま」の今の人生を否定する「天命」(笑)


自身の自己肯定にやっきになりながら、、

他人の人生は肯定せず、もっと違う人生にチャレンジしようとか言い出す。


だから連中は、、エセスピ、、なんです。


あははエレガンス夫婦教祖とか、、、

信者には「味わえ~」と説きますが、、

「卒業」と称してサラリーマン退職してスピ起業(笑)

この二人は共に「味わうことなくスピ逃避した」のが現実なんですね。



取り敢えずこの辺で。



※この記事はシーズン1の加筆再掲です。