なんつーか、、

2006年冬、八木龍平氏の前に、とつぜん弥勒菩薩らしき存在が出現したとかで、、

「ちょうど視線を上げたあたりに映像が見え、『新しい自分に目覚めなさい』というようなメッセージをいただきました」


だと(笑)


笑うトコロを逃さないハカセ。


さて、、当方の2013.5.3の記事。
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■歩く禅■

禅って別に胡坐して瞑想してってやんないと出来ないものではなく、、
日常の中にある。

昔、禅僧で「まかない係」の坊主が、、
※典座(てんぞ)だったかと、、
台所で禅僧たちの食事を作っていたら、、
光り輝く観音様が現れて、、、

「○○よ」と名前を呼んできた、、

そしたら、その坊主、、
鍋のお玉でその観音を叩いて追っ払ったらしい(笑)

「邪魔やボケェ!神さんでもどつくぞ!」と、、

まぁ、、
お玉で鍋を混ぜている時でよかったです。
観音も命拾いしたものです。
もしも、包丁で大根を切っているときに「観音」が出てきたら、、
観音は包丁でザクザクに叩かれて血だらけになって帰ることになったかと、、思います。

要は、集中するってそんなものなんです。
そこに宇宙がある。
歩くことも同じで、、
それは歩くことだけでなく、日常生活全般にもある。
そこを忘れて、、
何か旅行して瞑想したり、、
脱サラして瞑想しても、、、仕方の無いこと。
そんな瞑想で生を実感してもハリボテです。
普段の日常の喧騒の中に集中した「静」の空間を持つ。
ただ歩いているだけですけど、、
その動の中に静も併せ持って、、
身体を感じ取ってセンターウォークしてみてください。

音楽を聴きながらランニングマシーンとか、、
身体意識って部分で見ると、、意味がないと、、思いますね。

取り敢えずこの辺で。
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※このエントリー自体は更に数年前の私の別ブログの焼き直しです


で、、


スピリチュアル世界に真実の様に騙られている、、


この「光り輝くモノとの出会い」、、


それこそが魔境で、、



なんでも、、リュウ博士自体が、、


博士論文の執筆に四苦八苦し、「もう書けません」と、担当教官にメールしようと思い定めつつあった時に、、弥勒菩薩の出現を受けているとのことで、、


ああ、脳が酸欠か血栓で梗塞起こしていたんだな、、と観るのが、、


正しい状況把握だと思いますね。



もし、、


光り輝く観音様とか目の前に現れたら、、、


問答無用で一刀両断に斬り捨てる。


それが「正しい対処法」です。



取り敢えずこの辺で。



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