DATE: 07/19/2017 10:03:13

中心軸と中庸 まるで違うもの

なにやら、、

「世の中には中庸を説くものがいてるが、ブレてもいいしミスしても良いし逸脱しても良いから挑戦しよう」

とか言い出す自意識過剰教祖さんがいる。


このブログは、、

そもそも中庸を説いていない(笑)

「中心軸」を説いている。


つまり、、

「外軸でチャレンジしてもそれは外軸でしょ?」と突っ込みを入れてるブログです。


「他人からサプライズが来ない」とか、、、

軸足が他人にある。

「誰も私を助けようとしない。」
「誰も私を必要としない。」
「誰も私の歌を聞きたいとは思っていない」


全て軸足が外の「他人」にある。

そういう他律依存の部分を改めないで、、

「そうだ歌ってもいいんだ、受け取ってもいいんだ」

という考え方は、、

完全に外軸なんですよ。


また、、

「受け取る」とか、、

それも自意識過剰なんですね。


だから、周りの目線が気になって気分が良くなったり悪くなったり左右される。


つまり自身の「軸」が安定していない。

それを「受け取っても良いんだ」「受け取ることを許す」とかいう解決方法は、、


その外軸の「根っこ」がまるで変わらない、、

ただの誤魔化しだということです。


まぁ、、結局は、、

教祖も外軸で軸ブレ不安定なのは変わらない、、

自意識過剰でリア充自慢の自己開示顕示欲は、その誤魔化しの裏返し、、つまり「現れ」なんですね。


※東京ライフ満喫ぅぅ記事とか、、都会願望の田舎者を引き込むキーワードでしょうかね(笑)
※東京でもアマゾンでも、どこにいても変わらない自分、それが「中心軸」です。

※「バランス」を連呼する教祖もいますが、ヤジロベエは中心があってこそのバランスです。


取り敢えずこの辺で。


※この記事はシーズン1の加筆再掲です。