聖書自体が、、
書き写しで作られたが為に、、代々追加され積み重ねられた創作な「偽書」とも言えますけど、、
マタイ伝(聖書)のイエス・キリストの言葉で、、
「われ地に平和を投ぜんために来たれりと思うな、平和にあらず、かえって剣を投ぜんために来たれり。」というのがある。
また、「わが来たれるは、人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑より分かたんためなり。」というのもある。
解釈はいろいろ。
中には、、
「剣」という言葉に過剰反応し、、
「私は平安を求めているんだプンプン」なんてのもある。
言葉を変えたら、、、
「剣」は自律自立だし、、
「平安」は他律依存ともとれる、、
「今の間違った信仰の在り方を元に戻す為に私は来た」とイエスが言いたかったなら、、
それはそれ、、です。
イエスは、その時代のその信仰者たちに語り掛けた言葉です。
まぁ、、
今の時代の感性に、信仰者でも無い、、
剣という言葉に殺戮を意味するコトダマと受け取るのも、、、
受け取り方がちょっと問題です。
過剰反応して怒りを撒き散らかすのも、、
そういう反応する自分をボーカンした方が良いですね。
※ある意味ヴィーガンみたいです。セロトニン不足。
そもそも「平安」なんてものは宇宙には存在しない。
ファンタジーだし見果てぬ夢、妄想、です。
何をどう「平安」と受け取るかは、そして満足するかは、、
個々の「脳みそ」次第です。
取り敢えずこの辺で。