まずは三遊亭円楽さん、「安倍晋三です。トランプ氏から『国民の声は聞かなくていい』と言われました」。次は林家たい平さん、「麻生太郎です、やかましいィ。」。そして最後には、林家木久扇さんは「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」と嘆いてみせた。
以上が、後にインターネット上などで話題となった『笑点』の「三連発政治批判」である。テレビの前でそれを見た私は、「そんなのは落語としてどこが面白いのか」と思ったのが最初の感想であった。
例えば、最後の木久扇さんの「沖縄から米軍基地がなくなるのは、いつなんだろうねぇ」という答えを取ってみても、そこに何か落語の笑いの要素があるというのか。「米軍基地がいつ無くなるだろうか」という、そのあまりにも平板にしてストレートな一言を聞いて、腹の底から笑おうとする人間がいったい何人いるというのか。
程度の差はあっても、一番目の「安倍ネタ」と二番目の「麻生ネタ」も同じようなものである。要するに、この三連発の政治批判は笑いのネタとしてまずつまらないし、落語としての機転も芸も感じさせない。
そこにはむしろ、政治批判が目的となって『笑点』としての面白さは二の次となった、という感がある。はっきり言って、そんなネタはもはや『笑点』ではない。『笑点』の名を借りた政治批判にすぎないのである。
例えば、、、
「中国のウイグル弾圧が無くなるのはいつの日だろうねぇ」という話は聞かない。
「北朝鮮の核兵器は無くならないのかねぇ」も聞かない。
「オイ!北朝鮮、拉致された方達をとっとと返せ!」も聞かない。
政治的な風刺でもなく、ひねりも、オチも無い。
落語としての「芸」が全くない。
で、このような批判に対して、、
「言論封殺だぁぁぁ」とワメクのがサヨク脳のワンパターンです。
石平氏はきちんと論理的に反論されている。
『笑点』には政治を風刺し、批判する自由はあるが、われわれ観客にも『笑点』の政治批判に賛同したり、批判したりする自由があるのである。「『笑点』は庶民の声を代弁して権力批判をしているから、『笑点』を批判してはならない」というような論法は、逆に『笑点』に対する批判を封じ込めて、『笑点』そのものを絶対的な権力にしてしまうのである。これこそ、問題の最大のポイントではないのだろうか。
「笑点」を生放送にしようとしているのは、、
編集で消せないように、言いたい放題したいから、、でしょうね。
笑点はサヨク政治的プロパガンダ番組、、
円楽、たい平、木久扇は、、中国共産党の支配下の芸人だということです。
取り敢えずこの辺で。