広澤氏は1999年に巨人を自由契約となり、翌年から恩師である野村氏が監督を務めていた阪神に移籍する。
もしヤクルトに残っていれば、野村監督の野球理論をもっと身につけることができたでしょう。野村監督はよく「頭を使え」と言いますが、僕に限らず大半の選手は現役時代、“感覚”でやっていたと今になって思います。
若い頃に理論を持って野球ができていれば、成績が落ちても底なし沼にハマらず、抜け出せただろうな。もちろんコーチの助言はありますが、プロは自分で自分の状態を判断し、最後は自分の中で消化できないといけません。
ヤクルトに生え抜きで残っていれば、今頃は監督になれていたかもしれないが、お山の大将で終わっていたかもしれない。色々な経験を経たからこそ、今では野村監督に教わった理論にオリジナルを加えられて、自分では野村理論を越えたと思っています。
それを後輩に指導しても面白いけど、一番は今の理論を身につけたまま20代の肉体に戻って野球をやりたい。物凄い成績が残せると思います。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191229-00000007-pseven-spo
いやーバカです。
野村監督を超えたという感覚を持つ時点で、、問題です。
野村監督も肉体は高齢化したとしてもスポーツ理論については未だに成長しています。
師も止まっていない、、
それが「人」というもので、、
そして野村理論の神髄って、、
スポーツ選手は「人格者」であることが一番大事な要素だということです。
野村氏は、、
巨人が強い理由を、、
常に「紳士たれ」という人格教育にあるからだと言っています。
それなのに、、
「俺は師を超えたぜぇぇぇ」と言う広澤克実氏(57)。
ただの「知ったかサン」です。
まぁ、、
監督になるのは、、
不可能ですね。
「師」というのは超えられないポジションで、、
実際に超えたかどうかの問題ではなく、、
そういう意識があってこそ人は成長すると思います。
師を超えたと言い出すのは暗黒面に堕ちた時ですね(笑)
取り敢えずこの辺で。