私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声から受けたことは、そなたは社会の底辺で【人の心の在り方】を学びなさいです。人の心の在り方に関して社会の底辺の人達から学ぶであって、【宗教書】を学びなさいではないのです。旧約聖書の神と称する声は、【世界の宗教書に私の教えなど載ってはいない】とまで告げられたのです。自分の書である旧約聖書ですら、学ぶ必要が無いとまで告げられたほどなのです。為に、そなたを社会の底辺の環境下に置くです。それで私も人としての下座行を積んで来たなのです。
なんて記事があった(笑)
ある意味「憑依現象」(笑)
それとも統合失調症、、、
で、、
そもそも「下座行」、、
仏教徒か大本系にもよく出てきますが、、
「観音下座の行」って言われたり、、
それを自分が下座行していると公言するとか、、
大笑い話で、、
その「心根」はちっとも下座していない(笑)
企業の会長が清掃員の身なりと変装をして、、
トイレ掃除していたり、、
社長が一番に出社して誰もいないうちにトイレ掃除を済ませていたり、、
そして口外しない。
そういうのは世にいくらでもある。
下座行して学んだとか、、
深層の心根はナニサマなんでしょうね?です。
神に近づくとか、、
神の功を立てるとか、、
神人になるとか、、、
弥勒下生の時に間に合わせるとか、、、
ニンジンをぶら下げられて行う下座行ほど、、
本質から脱線しているモノは無い。
私の魂の本親の【本守護神】の元に帰りたいからです
まぁそれすらも棄ててみなさいよと、、
そうしたら、、
少しは下座行(に近づくの)だと思いますね。
棄ててこそ、自律自立なんですよ。
他律依存の教えを説いてて、、神人とか、、笑い話です。
それは神人合一なんかではなく、、「自己喪失(憑依完了)」なんです。
取り敢えずこの辺で。