本当に偉い人間とは「人生で夢や希望をまったく叶えられなかった」のに、しぶとく生きている人である だから禅僧は中学生に「夢や希望なんて持たなくてもいい」と話した。
南 直哉(みなみ・じきさい)
みなみじきさい

禅僧
1958年、長野県生まれ。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約20年の修行生活をおくる。

夢や希望が必要ないのと同じように、「生きがい」や「やりがい」の類も、無くてかまわないと私は考えます。

「せっかく生まれてきたのだから、意味のある人生を送りたい」と言う人がいますが、「せっかく」はなく、この世に「たまたま」生まれてきただけです。

もちろん、「やりがいのある仕事」や「生きがいに満ちた毎日」がある人は、その日々を謳歌おうかしていただければいいでしょう。

しかし「生きがいが感じられない」「やりがいが見つからない」と、悩むほどの問題ではありません。そんなものがなくても十分生きていけます。

https://president.jp/articles/-/57066?page=3


まぁ、たまたまこの時代に生まれてきた


それはそう思う方が良い。


今の時代、、


役に立つとか、、


感動を与えるとか、、


何か「人はどう生きるべきか」とかな価値観を刷り込まれ過ぎていることが、、


生き甲斐や、やりがいの喪失につながっているように思いますね。



色んな発明がニンゲン世界を豊かにしたかもしれない一方で、、

逆に不幸を沢山作った可能性もある。

そういう意味では、、

そういう「偉人」という人がいてもいなくても、、

世界は変わらない。

その発明が無かっただけで、、

無い世界で、その無いものと比較することは無いんで、、、

つまりエジソンやテスラがいてもいなくても変わらない。

電気が無くても、、

電気を知らない世界からしたら何が不便なのかわからない。

そこに「たまたま生まれた」人達で、、

文明も文化も作られていく。

ですから、、

何も固執する必要は無いですね。


そう思います。



何気に生きてきても、それは積み重ねた人生です。



追記。
最初の主題忘れていました。
「本当に偉い人 考」ってのは、、
つまり「本当に偉い人」ってコトバ自体がトラップだよって意味です。
忘れてしまいなさいそんなバカなコトバ、、です。





取り敢えずこの辺で。
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