『嫌われる勇気』の著者が指南する、孤独を克服する方法
『孤独の哲学』(岸見一郎 著、中公新書ラクレ)の冒頭で孤独について語るにあたり、著者はまず新型コロナウイルスの影響を引き合いに出している。

    孤独であることを強いられた時、孤独にどう対処すればいいかをしっかりと考えなければなりません。
    コロナ禍で人と会えなくなったことから話を始めましたが、感染さえ収まれば何の問題もなくなるわけではありません。コロナ禍以前からもあった、しかし、あまりはっきりとは見えなかった問題――その多くは対人関係の問題なのですが――が、不自由な生活を強いられる中で顕在化したように思います。(本書「はじめに−孤独を知る、人生を知る」より)

どうすれば、仕事をしていなくても自分に価値があると思えるでしょう。もちろん、前々から趣味を持っていれば、それを極めることができるでしょう。しかし、仕事をしている頃に格別の趣味がなかった人であれば、趣味を見つけるところから始めなければならないと思うでしょう。(本書46ページより)


まぁ、、、

孤独って、、

言わば「他律依存」

そもそも、、

「自分に価値がある」という考え方、、

これが間違いだし、、

トラップです。

この著者は、、

価値という言葉がトラップだとはしておらず、、

価値という言葉を肯定して道を探る。

解決には届かない。

だから結局「迷い道」でしかない。

そしてたぶん次の"第二弾"を出版する(笑)

そういうビジネスです。


まぁ、、

価値という言葉や「孤独」という言葉、、

それ自体がトラップだよ、ということで、、

「孤独」という言葉を知らなければ、、

「孤独」という概念も生まれない。

概念を持つことで概念に囚われてしまう。

その理解。

その位置に立つことですね。


「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」

宣長の解説
    「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」

身体軸の解釈

大和心とは誰にも見られることのない深奥の山奥でもいつものように咲いて香り散って朽ちていく桜のようなものです。


神社で御神木とやらに手を当てたり抱き着いたりしている方達、、

もうそういうコトやめましょう。

深山の深奥でも桜は咲いて散る。

その桜を知れば、、

浮世の戯言とかどうでも良いと思えませんかね?

そこにトラップされているから、、

マインドフルネスたら、瞑想たらにハマるんですよ。

マインドフルネス推奨者が「あれは本物のマインドフルネスではない」と罵り合うばかばかしさ、、


それに、、

いつまでもマインドフルネスや瞑想とか続けているのは、、

「自慰」「誤魔化し・言い訳」でしかない。

座っても座らなくても、中心に坐したらもうあとは不要なんですよ。

坐していないからいつまでも繰り返し座り続けているというコトに気づかないとね。




自律自立しましよう。

自分の足で立って歩いてください。

価値がどうたらとか、、

他人と比べる必要はありません。



でも今日じゃない




取り敢えずこの辺で。
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