そこを越えてきたから、、
「通天閣の再建なくして新世界の復興はないやろ」
数人の商店主の間でこのような声が上がったのは戦後間もなくのこと。とはいえ、再建には莫大な費用がかかる。さらに初代通天閣のあった場所には既に民家が立ち並んでいた。お金も土地もないゼロからのスタート。「もし通天閣が再建できたら町中を逆立ちして歩いたるわ」「うどんで首吊ったるわ」と揶揄する者もいた。
そんな中、新世界町会連合会の雑野貞二会長の案で、地元の住民から出資を募り、会社を設立して再建しようという計画が動き出した。集まった金額は約5千万円。こうして昭和29年に通天閣観光は設立された。
大阪市の協力を得て、建設用地が確保され、地元の建設会社である奥村組の奥村太平社長が一部自腹を切って建設を請け負ってくださった。
役所や建設会社、そして地元の人たちの、なんとか復興のシンボルとして通天閣を再建したいという熱い思いが歯車を回し、昭和31年10月28日、二代目通天閣は完成したのである。その翌年、年間の来塔者数は155万人を記録。創業10年では延べ一千万人に上った。