結局は、自分が直面しないと気づけない。
来年の4月で、2005年に起きたJR福知山線脱線事故から20年となります。
節目の年を迎えるのを前に、事故にあった当事者たちが来月、講演会を開催します。
■事故で大ケガの男性 証言集め『最期の乗車位置』探す取り組み
企画したのは、事故当時、2両目に乗車していて大けがをした小椋聡さん(55)。
事故直後、多くの遺族が「亡くなった家族が乗っていた場所」を知りたがっていることを知り、様々な証言を集めて『最期の乗車位置』を探す取り組みを行うなど、生存者として事故と向き合ってきました。
■「事故が日常に埋もれていく。今じゃないとやれないことをやる」
【小椋聡さん】「20年がたち、事故のことよりも日常生活のウエイトが大きくなってきた。このタイミングで向き合わなかったら、そのまま日常に埋もれていく状態になると思った。今じゃないとやれないことをやっておかないといけない気がした」
■「生きることの意味」困難を抱える人たちに伝えたい
20年を節目に、今一度事故に向き合いたい。
そう感じた小椋さんが、今回の講演会でテーマに掲げたのは「わたしたちはどう生きるのか」。
事故の経験だけではなく、事故を通して感じた「命の大切さ」や時間が経つにつれて見えてきた「生きるということ」の意味を、困難を抱える多くの人に伝えたいと言います。
命の大切さって大事な人を失ってみて、自分の命を失う危険を経験して、わかるもんじゃないですかね?
で、、
正直、福知山線だけが事故ではない。
毎日のように不幸な事故はある。
強盗殺人も増えた。
一度に多人数か少人数化の違いだけで、、、
福知山線で碑を建てるなら、全国に碑が乱立する。
だから人の脳は
それらを切り離す。
"事故が日常に埋もれていく"
ように出来ているんです。
必要なのは"具体的な対策"であり、、
事故に至った"理解"です。
しかし、、
福島や宮城とかにあった「ここより下に家を建てるな」という石碑、、
かっての震災・津波の経験で警告しているものの、、
100年経てば忘れて家をどんどん建てて、そして流される。
警告だけだったから、、
ですから今度は対策として、、
高潮の防潮堤を作って、土地をかさ上げして、、
街を作り直している。
それでも、、
100年経てばわからない、、と思いますね。
まぁ100年経てば、、
防潮堤作った人も生きていませんから、、
知ったことではないですね。
それに、、
どんな対策があろうと、なかろうと、
そこに棲む奴が自分できっちりリスクヘッジしていく、それが大事です。
対策してもタイミングもあります。
※安い土地にはワケがあるんです。
で、、
(身体軸の)生きている意味??
無いですそんなもの。
ただ日々を生きますよ。はい。
道なき道をただ歩いていきます。尽き果てるまで。